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吾輩は猫である 1巻
講談社青い鳥文庫 69-5似た漫画を探す
概要
『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたのだが、好評を博したため、翌1906年(明治39年)8月まで継続した。上、1906年10月刊、中、1906年11月刊、下、1907年5月刊。
中学の英語教師珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)の家に飼われる猫が、主人や家族、あるいはそこに集まる迷亭、寒月、東風、独仙らといった高等遊民たちの言動を観察・記録して、人間の愚劣さや滑稽さ、醜悪さを痛烈に批判し、嘲笑するという趣向の小説である。作中では金権主義の実業家に対する罵倒など、漱石の正義感が遺憾なく吐露される一方で、知識人漱石の深い厭世観に根ざす文明批評が、滑稽味と独特に混淆して表現されている。
なお実際、本作品執筆前に、夏目家に猫が迷い込み、飼われることになった。その猫も、ずっと名前がなかったという。
概要
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まり、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様が風刺的・戯作的に描かれている。漱石が所属していた俳句雑誌『ホトトギス』では、小説も盛んになり、高浜虚子や伊藤左千夫らが作品を書いていた。こうした中で虚子に勧められて漱石も小説を書くことになった。
現在の『吾輩は猫である』(第一話)に相当する文章は、当初は一話のみの読み切りとして執筆され、虚子らの文章会「山会」1904年12月で朗読され好評を博した。そのため第一話は単体で終了しても良い形でまとめられたものであった
。これを漱石の許可を得た上で虚子が修正し、タイトルに相当するものが未定であったものを高浜虚子が決め、1905年1月に『ホトトギス』上で発表した。これが好評になり、虚子の勧めで翌年8月まで、全11回連載し、掲載誌『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばした(元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった)。
語られる話題のいくつかについて、漱石の日記・断片第五から第七までに類似した記述が複数あることが分かっており、漱石が日々構想・着想していた事の作品化でもあった。寒月の身投げの話は寒川鼠骨から、「首つりの力学」は寺田寅彦から聞いたものであり、他にもまた古代ギリシャ文学から当代の明治文学やイギリス文学まで広範に取材引用され(但しその引用の正確性については迷亭の設定のごとく現在の研究においても疑惑がある)、あるいは読者からの手紙や批評家の記述なども作品創作において利用されている。
「吾輩は猫である」の着想については、小説連載途中の1906年(明治39)5月に漱石の友人の藤代素人が『新小説』に「猫文士気燄録」を発表し、その中でドイツロマン派の文学者E.T.A.ホフマンの長編小説『カーテル・ムル(牡猫ムルの人生観)』(1820)の存在を指摘しており、漱石はこれを受け同年8月に発表された本作最終回(第十一)の作品の中で猫の独白の形で、驚きとともにやんわりと否定的に言及している。石崎等によれば漱石は文学史上、ホフマンの猫の存在は知っていた可能性があるかもしれないが、読んでいたという確証はなく、また本作からはその形跡を認めることはできないとし、第十一話ではドイツ産の「カーテル・ムルという見ず知らずの同族」などまったく眼中になかった様子がうかがわれるとしている。
一般には『吾輩は猫である』の構成は『トリストラム・シャンディ』の影響を強く受けたものと考えられている。